けんすけの旅ブログ

旅先で経験したことをつらつらと

1つのベッドを2人でシェアしながら11時間の移動

 

 次の日は朝早く起き郊外にあるブッダパークというところに行くことにした。

 

 ブッタパークまでの行き方は、モーニングマーケットから日本の中古車のバスが出ており、14番のバスに乗れば40分くらいで着く。料金は6000キープ(約80円)である。格安にもほどがある。

 

 バスの隣に座ったジョーダン人と話した。彼はメコン川を隔てたタイとの国境に向かっているらしい。腕と顔が血だらけだった。バイクに乗ってる途中に牛にぶつかり吹き飛ばされたらしい。

 

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バスに揺られること40分ブッダパークに着いた。そこら中にブッダがいる。色々な種類のブッダがあって面白かった。少し時間がかかるがぜひ行ってみて欲しい。

 

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 帰りのバスを待ってる時に事件が起きた。同じくバスを待っていた中国人の男と話していると、どうも自分を見てくる目がおかしい。この目には見覚えがある。そうゲイの目だ。

 

 その日の夜に街全体が世界遺産の街ルアンパバーンに行くことになっており、彼もルアンパバーンに向かうとのことだった。多分同じバスだ。この後なにする?良かったら一緒にカフェでも行こうよと、誘われたが適当に理由をつけて断っておいた。

 バスのチケットはvientiane backpacker’s hostelというところで前日に取っておりルアンパバーンまでは寝台バスで11時間で料金は130000キープ(約1700円)だった。

 

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 指定の時間にそのゲストハウスに行くと、トラックの後ろに乗せられて少し離れたところにある北バスターミナルにぎゅうぎゅうづめで運ばれた。そこでまたさっきのホモっぽい人と再会した。再会のハグをされた。

 

 なんと寝台バスはベッドは2人で1つののベッドをシェアしないといけないとのことだった。そして彼に同じベッドだったらいいねと言われた。うん。

自分は他の人とシェアだった。良かった。

 

 ベッドの大きさは170cmの人が1人で寝ると、ちょうどいいだろうなって大きさでかなり窮屈だった。しかも雨漏りしてきた。はっきり言ってこの状況は貧乏旅って感じがして、すごく楽しかったし興奮する。

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 明日の朝には街全体が世界遺産の都市、ルアンパバーンに着く予定だ。そして眠りについた。ずっと震度2くらい揺れてるし、もう1人の男の脚が顔にめり込んでいる。

モテモテだった(ゲイに)ラオス

 バレンタインの街の浮ついた空気から逃れるように2月14日僕は成田空港第二ターミナルにいた。この日の航空券が1番安かっただけでバレンタインから逃れるためではない。本当に。

 

 今回の旅ではラオスの首都ビエンチャンに2日間、古都ルアンパバーンに3日間行ってきた。

 

 ラオスから入りタイ、ミャンマー、インドの順で計50日くらいで旅をする予定だ。前回ブログにしたカンボジア旅の後に東南アジアとヨーロッパの国含めて10ヶ国に行ったがそれらをブログに記すのは後回しにする。

 

ビエンチャン

 日程: 2/15,16

 宿: Orange backpacker hostel

 ビエンチャンラオスの首都で、タイとはメコン川で国境を隔てている。世界一何もない首都などと呼ばれているが、実際に訪れてみたら分かると思うが本当に特に何もない。

 

 飛行機を降りた瞬間にもわっとした熱気を感じ、また東南アジアに来たんだなあと実感が湧いた。あの空気が好きだ。興奮する。まず空港に着いたら両替だ。ラオスの通貨はキープと呼ばれており10000キープで約130円だ。インフレしているから、両替直後は人生ゲームで勝った時の感覚を味わえる。取り敢えず5000円両替した。375000キープになった。街中ではタイバーツやアメリカドルを使えるところも多い。その場合はキープで釣りが返ってくる。

 

 

 空港から自分が今回宿泊するOrange backpacker hostelまでは約4キロだったので、歩くことにした。街の喧騒、生暖かさが背中を押してくれたのですぐだった。この宿はドミトリータイプで1泊約400円、繁華街から近く、シャワーからお湯が出てトイレの水流れ、スタッフが親切なのでオススメだ。

 

 街へ出てみることにした。東南アジアの国で感じられる街の喧騒はあるが、バンコクハノイ程ではなく平和で静かな感じだった。道を渡る時も注意すれば、轢かれそうになることはない。信号は機能してないが。

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 観光地が街の中心に集中してるため、歩いて全部回れる。様々な寺院に行った。寺院は5時に閉まる予定で、自分は5時直前に行ったので2個の寺院に入る時に、もうすぐ終わるから料金は払わないでいいよと言われたため20000キープ浮いた。約260円。こんなに嬉しいことはない。


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 これらの寺院を見て同じエリアにパトゥーサイと呼ばれる戦勝記念のモニュメントがあるのでそれも見に行った。ラオスは昔フランスの植民地だったことも影響してフランスの街並みが所々見られる。このモニュメントもパリの凱旋門シャンゼリゼ通りを元に作られていて、美しい建築様式となっている。

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 街にある寺院とこの凱旋門を見たらほぼ観光するものがなくなった。さすが世界一何もない首都と言われているだけある。夜になるとナイトマーケットがメコン川沿いで開かれるためそっちに行くことにした。

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 こんな感じで道端に店を出してて活気があって歩いているだけで楽しい。観光客が歩いていると立ちんぼやレディボーイがたくさん話しかけてきて怖かった。立ちんぼは金目的だがレディボーイは純粋に男を目的としているのでたちが悪かった。道端で5人のレディボーイに囲まれた時は泣きそうになった。逃げるように盛り上がってるバーに入った。

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 この写真の中心にいるなぜか知らないが阪神タイガースのユニフォームを着ている女性の歌が、上手すぎて背筋を雷が打ったかのような衝撃を受けた。

 

 このバーで仲良くなったラオス人の男ともう一軒行くことになった。そのバーでも少し飲んだ後に明日もあるから帰るねと伝えると、手を握られて良かったらもてなすから俺の家に来ないかと、とろんとした目で言われた。よく男子大学生が女子とさし飲みして家に誘う時に見る性欲を帯びた目だった。この人までゲイだったのか。女にはモテないが、ゲイにはよくモテる。丁重に誘いを断りゲストハウスに帰った。50日間に及ぶ旅の初日の幸先が悪かったので、少し泣きそうになった。

 

 

 

 

ポルポトが残した負の遺産

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長年の夢だったアンコール遺跡群を肌で感じることができためカンボジアに来た1つの目的を達成することができた。もう1つの大きな目的は、ポルポト政権が残した負の遺産を見ることである。ポルポトは20世紀後半のカンボジアの独裁者である。それらで有名な場所はシェムリアップに1ヶ所、首都プノンペンに2ヶ所ある。プノンペンまで飛行機を使えば1時間もかからない。バスだと約7時間かかるが、6ドルでいけるとのことだったのでバスで行くことにした。

 

 シェムリアップにあるものは、ワット・トメイ寺院と言う。そこでは当時虐殺された人々の骨が収められており、別名キリングフィールドと呼ばれており当時どれだけ悲惨なことがあったかが伺えた。

 

 そしてプノンペンに移動しようとした。バスで約7時間かけてプノンペンについた。プノンペンにはキリングフィールドと呼ばれる実際に大量虐殺が行われた場所と、トゥールスレン虐殺博物館と呼ばれる国家反逆罪などの罪で捕らえられた政治犯が収容されていた刑務所があった場所で、今は博物館となっている場所がある。

 

 キリングフィールドは、カンボジア人を大量虐殺する場所で最も有名なのは、トゥールスレンに付属するチュンエクという刑場。そこに行ってきたが当時どれだけ酷いことをしていたか学べた。↓当時虐殺された人たち。

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 トゥールスレン虐殺博物館では、カンボジア政治犯が収容されていた刑務所である。一旦収容されるとほとんどの者が生きては出られず、非人道的な拷問を受けたのち処刑された。博物館のようになっていて、施設内は昔のままだった。壁や床には血の跡がこびりつき、いかに悲惨だったかが分かった。日本ではポルポトの大量虐殺指導者としての名前は知れ渡っているが、実際にどのようなことをしたのかはあまり知られていない。ヒトラー毛沢東と並ぶレベルの出来事なのでぜひ調べて見て欲しい。

 

 これで、カンボジアに来た大きな目的を果たすことができた。そして、なぜそう思っていたか分からないがプノンペンは日帰りで行って帰って来れると思っていたのに、もうすっかり夜になってしまった。荷物はシェムリアップの宿に置いてきたし、所持金もほぼなかったのでどこか宿を探そうとしたが、なかなか安宿は見つからない。

 

 プノンペンは夜治安が悪いらしく、野宿はしたくなかった。街を歩いていると100m間隔くらいで、コカインやマリファナを勧められるくらいだ。悩んだ結果クラブに朝までいれば夜の治安悪い目に遭わないで済むじゃん!となりそうすることにした。クラブの場所が分からなかったので、音楽が聴こえて楽しそうな方向に歩いていたら着いた。長くて楽しい夜の始まりだ。

 

ワクワク!アンコール遺跡群

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 ゲストハウスには朝まで爆音で音楽が流れ続けていたので、全然寝る事が出来なかった。4時に起床したがまだ爆音が鳴り響いているし、踊っている人がいた。音楽と共に育ってきたであろう人たちのパリピ具合に驚いた。世界基準で見ると、自分なんて足元にも及ばないなと痛感した。

 

 3分で朝の支度を済ませ、アンコールワットサンライズを見て、その後アンコール遺跡郡を回るためトゥクトゥクをチャーターしようとした。まだ午前4時半なのにそこら中にトゥクトゥクはいた。トゥクトゥクドライバーの朝は早い。稼ぎ時なのだ。何ドルか聞いてみると30ドルで1日チャーター出来るよと言ってきた。日本人観光者は基本的に世間知らずで金を持っているからふっかけてくるので、値段交渉は大切だ。値切りに値切ったら20ドルになった。後からいろいろな旅行者に確認してみたら、このくらいが相場らしい。

 

 いざアンコールワットに到着してみると日の出前だというのに大勢の人がいた。みんな日の出を待っているのだ。写真を撮るベストポジションはどこかと人がひしめき合っていた。↓サンライズアンコールワットを見るためにごった返しているアンコールワット

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 写真では上手く伝わらないが、日の出が後ろから照らすことによって手前の水面に反射し線対称となるアンコールワットは、言葉では形容できないほど美しいものだった。涙が頬を濡らした。美しさのあまり涙を流すことなどはじめての経験だったので、最初は自分が泣いてることにすら気づかなかった。今から約1000年前に石だけで、そして完全なる人力で作られたというのに、今を生きる人々の心を打ち続けるその姿は琴線に触れた。どれほどの人々がこの建造物に圧倒されてきたのだろうか。そして自分がいかに小さな存在で無力かということに打ちひしがれたのだった。アンコールワットを作ったスールヤヴァルマン2世のようになりたいと思った。

 その後一旦街へ戻り朝食を食べてから、アンコール遺跡郡を回ることにした。アンコール遺跡群の中で有名なところは、アンコールトム、南大門、タプローム、ピミアナカスなどがあり、どこを見てもクメール文明の建築技術の高さが伺えた。↓アンコール遺跡郡の地図。

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 アンコール遺跡はジャングルの中にあり脇道に行くと純粋にジャングルで迷うことになるので、楽しそうだなと思い故意に迷ってみた。元の場所に戻れなかったら大変だなあという刺激が、冒険心をくすぐったのだ。結果普通に迷って帰れなくなってしまった。ジャングルの中で助けてーと叫んでいたら、犬がそれに呼応するかのように吠えてくれた。その声のする方に向かったら元の場所に戻れた。迷ったらワクワクするので、アンコール遺跡郡をさらに楽しみたい人は、少し道を逸れてジャングルへ足を踏み入れて故意に迷ってみるのも面白いと思う。

 

 遺跡群を回っている時に、世界的なバックパッカーに会って激励を受けたり、ハニートラップに引っかかりそうになったり、露商店の人に服を買わされたり、無理やりココナッツを飲まされたり、川に落ちたりしたが大した話ではないので割愛する。アンコール遺跡に行くという小さい頃からの夢が叶ったのでとても嬉しかった。良い経験だった。

元気すぎるゲストハウス

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約2時間歩き続けてパブストリートに到着した。初めての東南アジアということもあり歩いてるだけで楽しかったので、75Lのバックパックを背負い気温30度の中2時間歩くことは、大して苦ではなかった。

 

 しかし空腹は苦だった。日本を出発してから約20時間何も食べていなかった。普段は週に3〜11回ラーメンを食べるほどの大食いなので空腹には慣れていなかったのだ。だから持ってきたガムを噛み続けて飢えを紛らわした。そしてガムを噛んだ時に出る唾液で喉を潤した。

 

 パブストリートに着いてその日に泊まる宿を探した。実際に泊まってる人に聞くのが手っ取り早いと思い、そこら辺にいる観光客にどこがオススメの安宿か聞くことにした。世界的なパリピみたいな見た目のイギリス人(多分薬やっている)が「フットサル場、プール、バー、ビリヤード場がついて6ドルのところに泊まっているよ🤪」と教えてくれたのでそこに泊まることにした。

 実際のゲストハウスの様子の写真↓

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パブストリートから300m程の距離のGarden Village Guesthouseというゲストハウスに泊まることにした。教えてもらった通りフットサル場、プール、バー、ビリヤード場がついていて爆音で音楽が流れていた。ウキウキしてしまいゲストハウス内を探検してると、ダンスフロアで踊っている人たちがいたので、一緒に踊った。そして一緒に踊っているうちに仲良くなったオーストラリア人の美女をディナーに誘っていたら、彼氏がいたらしく怒りながらやって来てどつかれた。彼氏に謝り、彼女が絶世の美女だから声をかけずにはいられなかったと説明したら、気分を良くしたらしく、3人でパブストリートにご飯へ行くことになった。こういうのが旅の醍醐味だと思う。

 

 

 夜のパブストリートは活気に溢れておりEDMが爆音で流れていた。3人で適当な店入った。オーストラリア人カップルはステーキを注文したが、自分は節約したかったのでサンドウィッチを注文した。提供スピードは1分以内。味は普通。約1日ぶりの飯だったのでまあまあ良かった。

 

 パブストリートにはサソリの唐揚げなどゲテモノが、観光客用に売られている。オーストラリア人が奢ってあげるから食べてみてよと言ってきたので、タンパク質を摂取できる貴重な機会だと思い食べてみた。他の観光客がサソリを持ってきゃーとか言いながら動画とかを取り合ってる中、躊躇せずに食べた。味は美味しくなくて食感が不快。ただそれだけ。

 

 次の日にアンコールワットサンライズを見るので、今日はシャワーを浴びて早く寝ようと、ゲストハウスに帰った。シャワーは、当然のようにお湯が出なかった。特に問題はないが。そして寝ようと思ったが爆音で音楽が流れてるためなかなか寝付けないのだった。元気すぎるゲストハウスだ。

 

バックパッカーのはじまり

 

 今までひとりでバックパック一つと最低限の所持金で15カ国20都市を旅してきたので、せっかくだから記録に残すことにする。

 

 初めてのひとりで行った海外旅行は、小学四年生の時に両親にひとりで行ってなんか学んで来いと、言われて送り飛ばされた台湾だった。その時のことはあまり覚えてないので、今回は大学一年生の春に、7泊9日で行ったカンボジアについて書く。

 

 アンコール遺跡群やポルポト政権が残した負の遺産を実際に見てみたい、肌で感じたいと昔から思っていた影響もあり、酔っ払った勢いでシェムリアップ行きの航空券を2週間後に取ってしまった。航空券を取ったことも出発3日前まで忘れており、そう言えば明々後日カンボジアに行くんだった!となって急いで準備に取り掛かった。両親に3日後にシェムリアップに行くことを伝えたらまじか〜と言われた。それだけ。

 

 準備もほぼ完了してない状態で、出発当日を迎えてしまった。準備出来たものは電源変換プラグ、タンクトップとパンツ9枚、ボトルガム2箱、暇な時間に読む本2冊だけだった。まあなんとかなるだろうと思って空港に向かった。

 

 家を出る時には、75Lの容量を誇るバックパックがスカスカだったことに気付かなかった。空港に着いてから気付いたことは、タンクトップ以外の服を持ってきていないことと所持金が8000円しかないことだった。パスモの残金が成田空港駅の改札を出るのに足りなかったので、チャージして残金が7000円になった。

 所持金7000円で全く知らない土地で7泊9日暮らせるのか。ここからバックパッカーとしての俺の物語が始まる。

 

 香港経由で17時間かけてやっとシェムリアップ国際空港に着いた。飛行機を降りると、もわっとした熱気を感じカンボジアに来たことを実感しわくわく、にやにやした。

 

 空港で7000円を両替した。そして宿を取ることも忘れていたので、安宿がたくさんあるパブストリートという場所に向かおうとしたがどのように行ったらいいか分からない。そこら辺のトゥクトゥクドライバーさんに何ドルでいけるか聞いてみたら、28ドルで1日チャーター出来るよと言ってきた。所持金の約半分である。

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 パブストリートまで約10キロ、歩けない距離ではないので、75Lのバックパックを背負い30度を超える気温の中約10キロ歩くことにした。